2011年08月09日

勉強#1

先日、無事に終了した"立川吉笑の勉強"について。

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勉強「会」と銘打つと、落語はもとより照明や音響・お客様へのホスピタリティーなどなど、総合的にイベントの質を高めないといけない、という持論があって、
落語に手一杯である現状としてはそういったところにまで手をかける余裕が無く、またかけている場合でもないと思ったので、「会」と銘打たずに「勉強」とだけ表記しました。

つまり、そういった部分の拙さだとか手の届かなさ、つまりイベントとしての質の低さについてはお客様に甘えてしまおうと開き直り、甘える以上は僕も普段以上に腹を割って、つまりこういった所で書いていない「今後どういう進み方を考えているか」とか「そもそもどういう落語をやりたいか」などなどを話そうと考えて当日に挑みました。


現状として、あたり前ですが他のエンタメと向こうを張って、お金を払ってまでみたいと思って頂けるようなイベントの提供はできていないのですが、それでも「お客様に観て頂きたい」「また来て頂きたい」とは生意気にも思っていて、ただ前座という修行中の身分に起因する「大変そうだから観てあげる」というような"親戚のおじさん目線"では観られたくない、とも思ったりしています。

現時点で「また来たい」と思わせられるイベントができないのであれば、「発展途上も発展途上だけど、ドキュメンタリーとしてこいつの成長過程を観ていたい」と思って頂けるようにはしないといけないなと思い、またできることはそれくらいしかないと考えていました。

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今回の"勉強"の反省は、当初「イベントとしての質の低さはお客様に甘えてしまおう」と考えていたのが、いつのまにか「"落語"そのものの質の低さも甘えてしまおう」と自分の中ですり変わっていたことです。
"勉強"ということで、自分の中でまだ固まっていない(=色々な案があってどれが一番有効的かまだ詰められていない)ような落語をやってしまいました。


「発展途上も発展途上だけど、ドキュメンタリーとしてこいつの成長過程を観ていたい」と思って頂くために、今回のイベントではずいぶん自分の目指している方向だとか、そのための道順などについて話しましたが、自分の先にある(と少なくとも自分自身だけは感じている)可能性は言葉にして伝えるのでなく、落語の中から垣間見えるようにだけするべきでした。

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勉強#1
2011/08/06 @tokyo omo style
一、道灌(アリ・アリ)
一、鮫講釈(アリ・ナシ)
一、テレスコ・序

道灌、鮫講釈のアリ・ナシは麻雀でいう食いタン・後付けのアリ・ナシみたいなものです。
アリ・アリの日もあればナシ・ナシの日もあります。
テレスコ・序は、発端の虫売りから珍魚が出てくる前のところまでを演りました。

ご来場頂いた皆さん、ありがとうございます。めちゃくちゃ勉強になりました。
特に色々な案があってどれが有効的か決めかねていた根多については一回演ってみたことで具体的なイメージが随分沸きました。

吉笑

posted by kisshou at 14:37| Comment(2) | 勉強 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする