2013年03月27日

ボーダーライン

立川吉笑勉強会(古典編)、終わりました。
ご来場頂いた皆様ありがとうございます。
楽しく高座を勤めることができて、ほくほくしました。


「早く二ツ目になって、やりたい落語を存分にやりな。」

 入門当初から常々言われ続けていた、師匠からの言葉です。
 そして、その後にはいつも

「やりたい事を精一杯試して、ぶつけて、それでもお客様から支持されなかったり、自分で無理だと思った時にはすぐに辞めるべきだ」

 とも言われ続けてきました。

「ズルズル続けるのは落語にも、落語界にも、そしてお客様にも失礼だし、何よりキミ自身にとって一番不幸せなことだから」

「自分の才能を活かせる仕事はどこかに必ずあるし、そこで働くのがキミにとって一番良いことだ」

「だけど、とにかくやりたい落語を存分にやりな!良い落語をバチッとやれたら、楽しいぜ!」

 師匠と夕食をご一緒させて頂くとき、必ずと言っていいほどこのようなお話をしてくださる。

 今までもこのブログでたまに書いてきたように、この「やりたい事を試して、ダメだと思ったら潔く辞める」というルールは自分の中で生き続けている。もちろん辞めたいわけなんかないし、だから辞めなくてもいい様になるべく精一杯頑張るつもりだし、いざそのような状況になったとしてきっぱり辞めるというのはとても難しいことだと容易に想像つくけど、それでもそのような気持ちでいることは確かだし、師匠の弟子である以上そうでないとダメだとも思っている。

 
 昨日ツイッターにも書いたけど、初めてボーダーラインというか、「もしこれをクリアできなければ辞めなければいけない」という境目が見えてしまって「うわっ」と思った。それについてここで具体的に書くことはできないけれど、自分で見つけてしまったボーダーラインを突破するための向こう1年になりそうだ。
 こういう書き方をするとシリアスな感じがしてしまうけど、そのボーダーラインは極めて低レベルなものだからたぶんクリアできると思うし、まわりの皆さんは普通そこからスタートしていたりするくらいのものなのでクリアできないようじゃそれこそ先は無いなと思えてしまうくらいのことだ。来年の年鑑でボーダーラインがどういうモノだったのかと、それをクリアできたかどうかの結果発表をしようと思っています。


 新宿で会があった談吉兄さんと終演後合流しいつものように朝まで飲んだ酒が微妙に残っているのか、何か頭がボーっとして今日は変だ。この程度の文章を書くのにも随分時間がかかってしまった。なぜか筋肉痛だし。なんだこれ。

 そうそう、『吉笑年鑑2012』アマゾンで予約受付中だそうです。(こちら)販売方法は「出演落語会での手売り」か「アマゾン」の二通りです。わざわざアマゾンで売るような本なのか?という疑問は少しありますが、ご興味ありましたら是非どうぞ!よろしくお願いします。


posted by kisshou at 18:30| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年03月22日

お知らせ[吉笑年鑑2012]

 ブログでもチラホラ書いていた『記録系企画』というモノが、4月1日発売開始という当初の予定通り完成に向かっているので今日は告知をさせて頂きます。昨年末に企画の話を頂いてから地味に動いていた出版物です。

///

表紙

吉笑年鑑2012 -From the beginning-

[目次]
・〜ブログとツイッターでたどる2012年全活動
  Part 1 前座修行の終わり
  Part 2 落語家として
・オリジナル作品と解説
・「立川吉笑と音楽」
・勉強会、独演会分析資料
・ブログ・アクセスログ
・「台本問題」問題用紙
・「昇進記念説明会」資料
・「たぬきの恩返しすぎ」直筆初稿
・あとがき 立川吉笑

発売日:2013年4月1日
販売方法:@吉笑の出演落語会 AAmazon.co.jp(4月中旬より発売予定)
定価:1000円(税込)
大きさ:A5版70ページ
監修:立川吉笑 編:吉笑年鑑編纂委員会
発行:合資会社グッドクエスチョン
お問い合わせ:tk.nenkan@gmail.com

///

 ということで自分の年鑑を作ることになりました(笑)

 予定は未定だけど、今のところ毎年毎年、死ぬまで、もしくは廃業するまで作り続けようと思っています。メインのコンテンツはその年の僕のブログやツイッターをまとめたものでしょう。つまり、わざわざ買わずともこのブログや僕のツイッターを遡っていけば年鑑のほとんどの内容を読むことができます。「それなのに売るなんてバカだな」と思われるかもしれませんが、なかなかどうして、そうではありません。なぜなら全てのノンフィクションに制作者の意図が良くも悪くも反映されてしまうように、吉笑年鑑に掲載されている僕のブログ記事やツイート部分にも第3者の意図が反映されているからです。
 
 昨年末、「吉笑さんのブログやツイッターをまとめさせて頂きたい」とこの企画の発案者の方からお声掛け頂いたとき「何を考えているんだ?」と思いました。落語家としてまだどうにもなっていない、また、現状どうにかなる可能性も自分以外は低いと思っているであろうこの僕の、そういったコンテンツを作品にするのは順番が違うだろうと思いました。
 当然ながらお断りさせて頂こうと考えながら向かった打ち合わせ現場で『吉笑さんの落語が好きだから、記録しておきたい』『その記録に興味を持つ人は私だけではないと確信している』『貴方は将来、記録しておいた方が良かった人になると思う』『ずっと先、記録しておいたことが役に立つ日が来る』『ブログの文章が「いち落語家の成長」記録に適している』などと言うような、よいしょも含めて?自分には勿体ないような評価をして頂いていたことと、何よりもその熱意。また、それまで何度かお会いしただけなのに「この人は信頼して大丈夫だろう」と思えたことなどから、「こちらこそよろしくお願いします」という感じで企画を遂行することになった。

 「年鑑である以上、できるだけ僕の意志とは独立したところで作られるべきだ」という考えは先方も僕も共通して持っていた意見だったので、2012年版としては、作品解説部分に書き下ろしがいくつか含まれているのと、分析資料をいくつか提供したのと、『台本問題』の問題文・『狸の恩返しすぎ』の初稿台本(手書きで色々書き込みあり)を提供したのと、昇進記念説明会のスライド・高座や普段の写真を何枚か提供したのと、あとがきを書かせてもらったくらいで、基本的なデータ収集やブログ・ツイートのピックアップ、その編集などは全てやって頂いた形だ。
 例えば狸の初稿台本なんかは、パソコンでパチパチやってとりあえずプリントアウトして、そこから実際に喋りながら推敲していく段階のものなので、ネタの発想自体は今と同じだけど技術面というか小技部分が今やっている形とはかなり違うので、現行の狸と比較するとちょっとした言葉選びにどういう意図が隠されているのか分かったりするだろうから資料として手前味噌ながら面白いと思うし、逆に言ったらこういう機会が無いと僕自身も二度と見ることが無かったであろう資料が日の目を浴びることになったのは有り難い話だ。
 そして何より自分でも一番驚いたのは年鑑のメインを占めるブログ・ツイート部分で、(そういう切り取り方をしてくださったからなのだろうが)読み物として、思いのほかグッとくるのです。前座から二ツ目に上がって、説明会をして披露目をして、というようなドラマチックな1年だったからというのもあるし、元々僕がメンタル的に起伏の激しい人間で、上がる時は突き抜けて上がるぶん落ちる時も突き抜けて落ちるからというのもあるのだろうけど、何というか、たった1年なのにきちんと波があって、それがちゃんと読み取れるようになっているのです。嬉しくてノリにのっている当時の僕からは笑い声が聞こえてくるようだし、躓いて落ちて、ズーンと沈んでいる当時の僕からは息苦しさすら感じられます。当たり前だけど一人の人間のドラマになっているんです。自分のブログを読み返すことなんてほとんどの人がしないと思うけどもちろん僕もその中の一人で、だから「当時あれだけ嬉しかったなぁ」とか「当時めちゃくちゃ悔しかったなぁ」とか本当に新鮮な気持ちがプレイバックしてきて、恥ずかしい話、チェックしながら泣きそうになったりもしました。


 もともと、師匠に前座のうちからブログやツイッターをやるように指示されたのは「ブラックボックスになりがちな前座生活をすべて晒していけ」「自分という人間のすべてを提示してその上で応援して頂けるようになれ」といった理由からだったと僕は記憶していますが、今回この『吉笑年鑑』という企画を与えてくださったことで、そのあたりにより明確に取り組むことができるようになったなぁと思っています。だって、今後"立川吉笑"として1年を過ごしていくだけで自動的に『吉笑年鑑』という作品は出来上がっていくのだもん。

 この年鑑の存在価値は今後の僕の頑張り次第でどうにでもなり得るし、この年鑑の内容が僕の毎日の過ごし方でどうにでもなるというのなら、どうせなら思いっきりフルスイングで生き抜いて、冗談みたいなフィクションみたいな夢みたいな、そんな内容にしてやりたいなぁと思っている。「現実は小説より奇なり」とはよく言うが、それが本当かどうか一生をかけて確かめてやろうと思っている。

 『吉笑年鑑2012』、アマゾンでも販売することになりそうなので僕の高座をご覧になったことが無い皆様も是非ともお買い求めください!今の僕を追いかける事ができるのは今だけです。ただ、僕を追いかける価値があるかどうかは、すみませんが知りません(笑) よろしくお願い致します!


posted by kisshou at 15:00| Comment(4) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年03月18日

久しぶりの高座

 広小路昼席にて久しぶりに落語!高座に上がるや否やお客様から「待ってました!」とからかい半分に?声をかけて頂きホクホクする。僕が師匠の事を好きになったわりと最初の方の理由の一つが、広小路亭で袖から出てこられた時にパッと場内が明るくなることだったので、どうすれば良いのか、また今の無名でペーペーな状態で少しでもそういう雰囲気を出せるのかは分からないけど、とりあえず袖で気持ちを盛り上げて「楽しい!」っという状態で高座に上がるようにしている。そこへきての「待ってました!」だったのでとてもありがたかった。ああいう感じのマクラでガーッとフルスロットルに持っていこうとは考えていたし、現にガーっと気持ちよくネタに入ることができたけど、あとは徐々に尻すぼんでいく感じの高座となってしまったのだった。楽しすぎてマクラが少し長くなったから、普通にやったら2分くらいオーバーしてしまうなぁと思っていたのに、途中、どんどんくすぐりが抜けたりして、最終的には30秒ほど余らせてしまった。2月は2日に1回以上のペースで高座に上がらせて頂くことができ、すると毎高座がとても調子よくやることができたから、やっぱり継続的に高座に上がるというのは大事なんだなぁと痛感した。もっと色々な会に呼んで頂けるようになりたいのだけど、そのためにはネタ数を増やさないとなぁ、と思っている。それが最近の課題。そしてすぐにクリアすることはできそうにない。にしても、個人的には本当に楽しく高座を勤めることができました。やっぱり落語をもっとやりたい!ご来場頂いた皆様、ありがとうございます。
 僕の後は幸之進兄さん、志の春兄さん、こしら師匠と続く番組で孫弟子の若手世代が続々と。これが本当に勉強になるんだ。というか刺激になるんだ。幸之進兄さんとは去年からもご一緒していたのだけど、今月から一門会に出演されるようになった志の春兄→こしら師匠の流れなんて新鮮で、しかもお二方とも凄いパフォーマンスをされるので、もう袖にベッタリ。あとは楽屋で先輩方と近況報告し合うのも楽しみの一つ。志の八兄、志獅丸兄、志の春兄、幸之進兄と色々な話をさせて頂いた。個人商売だからこそ、たまに仲間というか先輩方と合って一緒に過ごす時間がたまらなく楽しい。放課後みたいな感じ。
 帰宅後、記録系企画の最終校正をしていたら、春吾兄さんが前回のブログ『楽屋ばなし話』についてツイートしてくださっていてホクホクした。記録系企画というのは文字通り「僕の記録」についての企画なので必然的に色々振り返る作業になるから、そういうモードの時に兄さんから嬉しい言葉を頂いたり、また、まだここでは書けないのだけど最近の僕のトピックの中で最も大きいウエイトを占めている事柄でも嬉しいことがあったりして、なんか、エンドロールが流れてきて第1章が終わってしまうような、そんな気がした。
 帰り道、わずか500メートルくらいのガストから自宅までの幹線道路で、2回も盗難自転車かどうか確かめる職務質問に引っかかってしまったから帰宅した頃にはとても残念な気持ちになってしまったけど。ああいう時の職務質問って、警察官のリスクヘッジなんだろうけど、妙にフランクに、連れみたいに話してくる感じがいつも嫌だ。でも彼らも仕事だ。

posted by kisshou at 15:51| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年03月17日

楽屋ばなし話<3月18日追記>

 今日は春吾兄さんとやっている楽屋ばなしについて書こうと思う。昇進した頃、6月だったと思うけど、下北沢の談四楼師匠の定例落語会にご祝儀的にゲストで呼んで頂いた時のこと。6月1日に昇進されたばかりのこはる姉さんと春吾兄さんとが談四楼師匠やおかみさんにご挨拶に来られていた。
 それまでも春吾兄さんとは事あるごとにお話させて頂いていたし、"笑い"に対する言語・文脈を共有できているつもりはあったから二人で話すときには大抵"笑い"についてだった。その日急に春吾兄さんが「談志円鏡の歌謡合戦って聞いた?」と話を振ってこられた。

「音源の残っているものはいくつか聞きました」
「そう。ああいうのを遊びでやりたいんだけど、なかなかできる人がいないんだよね」
「談吉兄さんなんか得意なタイプだと思いますよ」
「談吉かぁ。吉笑くんはどうなの?」
「僕は面白みは理解できているつもりですけど、即興的にトンだ発想を出すのは苦手かもしれません」
「そうなんだ」
「意図は理解できるし、そのあたりを広げたりするのはむしろ得意だと思いますけど、自分発信でノータイムでアイデアを出すのは苦手だと思います」
「ふーん。ちょっとやってみる?」
 
 という感じで、それこそ楽屋でぬるっと、今やっている楽屋ばなしの原型をやることになった。上記くらいの説明で春吾兄さんがやりたい事がどんななのか大体の想像はついたし、それが例に挙げられた歌謡合戦とは少し毛色の違うものだと言うことも想像できた。僕らの文脈での会話ゲームだから違っていて当然なのだけど。
 楽屋にはこはる姉さんもおられ、それまでは色々と落語の話を3人でしていたのだけど、春吾兄さんがやおら会話ゲームを始められ、僕がそれに乗っかった瞬間から、すぐにこはる姉さんの顔色が変わった様に僕は記憶している。分かりやすく書くと、目の前で急に意味不明な会話を真顔で始めた二人の弟弟子にドン引きされたようだ。そしてこはる姉さんのリアクションは極めて真っ当で、だからこそ春吾兄さんは「なかなかできる人がいない」とおっしゃったのだった。
 
 単純に解説すると(というかそもそもそんな複雑な理由などなく単純に笑いにたいする共通言語を持てているかどうかというだけなのだけど)『1人がついた嘘に、「それは嘘だ」と否定しない』というのが唯一のルールで、まずリアルタイムに適当な嘘をつくのが難しい。この最初の嘘が適当でないと、その後絶対に話が繋がらないのでどうにもならない。そしてつかれた適当な嘘のより良さそうな(ズバッと言えば面白そうな)ポイントをピックアップして、そこを活かすべく相槌を打って、、を繰り返していく。それ以外はとにかく流れを壊さない範囲でアイドリング状態をキープするのだけど、やってみてすぐに「これは難しい」という感想と「できなくはなさそう」という風にお互い思ったように感じている。
 そこからしばらく経ったある日のこと(場所は成城ホールだったと思うけど)、開場前に何人かでチラシ折込をしていた時、急に春吾兄さんが「アジ、開くの好き?」と話かけてきた。当然真顔で。一瞬、落語家としての先輩からの質問かなぁと思ったので真剣に考えかけたのだけど、すぐにそれがゲーム開始の合図だと理解できた。ややあって「どちらかと言うと閉じる方が好きですね」と嘘をついた。そこから

「ふーん。やっぱりミシン使うの?」
「いや、手で縫います」
「祭り縫い?」
「はい」

 みたいに何ターンかやりとりした記憶がある。周りの人が聞いていなかったのか無視されていたのかは分からないけど、その場も我々だけが楽しんでいるイメージが残っている。たぶんその日のやりとりである程度、メドが立ったのだろうそれからしばらくして実際に「春吾・吉笑の楽屋ばなし」として、毎週土曜日に、あくまで"趣味の範囲"で会話ゲームを続けている。例えば二人の独演会での動員数やツイッターのフォロワー数など、普段の活動からは考えられないくらい反響が無く、というか皆無で、たまに頂くメッセージも「普通の話を聞きたいです」というようなものだったりして、「これ、本当に楽しんでいるの、自分たちだけじゃないか?」状態ではあるけど、始める時に設定したように、あくまで趣味の一環であり、また脳みその筋トレみたいな位置づけなので、そのあたりのコンテンツとしてのホスピタリティーにはあまり頓着しないようにしている。(さすがに最近は少しずつ開いてきたけど)

 継続は力なり、が正しいのかどうかは分からないけど、もう25回まで続いてきたし今後もやっぱり続けていくんだろうと思っている。何より楽しいから、趣味としてはピッタリだから。そして回数が増えていくうちに少しずつ分かってきたこともあるし、微妙に形を変えながら今後もより良い方向を模索していくことになりそう。最近はコンテンツとしての聞きやすさを無意識で考えてしまっているのか、まぁ、意識的にそうしている部分もあるのだけど、少し僕の言語で言う"浅い"回が続いている。なので聞きやすさはあるのだけど、もう少し初期衝動を思い出して深さを意識してもいいのかもしれない。(ややこしいのは、その深さをリアルタイムで生み出すのは僕はとても苦手だから、その場合春吾兄さんの負担が大きくなるのだけど)。現状として、<日常の中の非日常>を語る回と、<非日常の中の日常>を語る回とがあって、本当は<非日常の中の日常>を語る方が好きなのだけど、<日常の中の非日常>を語ることが自然と増えているのかなぁ、という感じ。
 ともかく、落語家になろうと決心した時点で、実はそのあたりの"笑い"の共通言語を持っている仲間を見つけるのは不可能だろうなと思っていたので、というかだからこそ落語家になろうと決心できた訳でもあるけど、結果として春吾兄さんや談吉兄さんという共通言語所持者が割と近い所にいてくれて、それは嬉しい誤算でもある。
 完全にマイノリティーであるからこそ、「楽屋ばなし」の楽しみ方というかやりたい事がわかるという方とは、同業者であっても違うジャンルの人であっても、もっと言えばお客さんとであっても仲良くなりたいなぁと思っている。

///

楽屋ばなし、吉笑セレクション

第1回(目の位置)
1回目だったので僕がインタビュアー的な立ち位置になっている。
『春吾兄さんの目が、昔はお腹にあった』という嘘。

第4回(おっさん)
『おっさんを含む色々な動物がついてくるんだけど、どうしようか』という話。

第19回(馬)
とにかく途中の馬の映像が鮮明に浮かんでしまい一番笑ってしまった。

第25回(卒業式)
途中もっと深みに進めたし、そのために春吾兄さんからのパスもたくさんあったけど、結局浅いままになってしまったとは言え、後半部分は喋りながら面白かった。あと前半も、聞く人が聞いたら怒られそうだけど、個人的には好き、本線の話も相槌も適当すぎるから。最後、もう一伸びしたら良かったんだけどなぁ。

///

<3月18日、追記>

上記ブログを読んで春吾兄さんがツイッターでレスポンスしてくれた。

立川 春吾‏@tatekawashungo
(吉笑くんのブログを読んでいただいた後で)楽屋ばなし。僕は「♯11野球と卓球」「♯14お化け屋敷」「♯23漫才」あたりも好きです。「♯9変な音」「♯13置き物」は気持ち悪いです。僕が。吉笑くんがツッコミに回らざるを得なかった回。いつかほんとに普通の話もしよう。

立川 春吾‏@tatekawashungo
一番はじめに本物の楽屋で僕が吉笑くんに仕掛けたのが、「ペットボトルって巨大化する性質あるじゃん?」みたいなのだったと記憶している。巨大ペットボトルに押し潰されかけたんだよねぇ、と。それから彼が「父方のペットボトルと母方のペットボトルが」と返して来たのだったと思う。

立川 春吾‏@tatekawashungo
仲間はいないだろうと思っていたことなど、ほぼ一緒。僕の場合は後輩に仲間が現れた形だから、それまでは『楽屋ばなし』みたいなものは出来ないかなと、諦めていた。吉笑くんと初めてに近く山手線の中でまともにしゃべった時に、使うタームが一致していたのは少し感動した。


 そうだそうだ、ペットボトルの話をしたのが最初だ。「母方のペットボトル」とかよく浮かんだな偉いぞ自分!山手線で喋ったのも覚えている。僕が春吾兄さんにピンときたのはまだ弟子入りする前だった頃、春太兄さんの牛ほめを客席で聴いて、与太郎の目線とか話し方とか、全体の感じが「小林賢太郎さんみたいだなぁ。好きなんだろうなぁ」と感じたことだ。たぶん山手線でもその話をしたし、結局は僕の思い違いだったようだけど、あの瞬間に「この人は"笑い"が好きな人だ」と直感したのだった。

posted by kisshou at 20:29| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年03月16日

贅沢

 28歳になって、最近は生活が豊かになってきた。収入は以前と変わっていないし、むしろ減ってすらいるのだけど贅沢をするようになってきた。自分なりに分析すると早すぎるけど少しずつ終わりが見えてきたからなのか、もしくは何とかなるという自信がついてきたからなのか分からないけど、節約して節制して、というような生活はしなくなったし、できなくなったと言ってもいい。ただ問題なのは28歳にして「生活が豊かになってきなぁ」と思っている要因が、1リットルのパックのお茶でなく2リットルの伊右衛門を買うようになったことだとか、2回に1回はサッポロ一番でなくマルちゃん正麺を買うようになったことだとか、だという事だろう。それでも自分としては豊かな生活を過ごせているつもりだし、おかげで最近はほくほくしている事が多い。(そういやこないだ先輩が家に来たとき、一番搾りが大量に入っている空き缶入れを見て「贅沢だなぁ発泡酒にしなよ」と怒られた)

 昨日は久しぶりに師匠と夕食をご一緒させて頂いた。最近はタイミングが合わずあまり師匠とお会いできていなかったので久しぶりに色々とお話を伺えて良かった。帰ってきて、気が付いたら寝ていた。

posted by kisshou at 15:21| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする